ぼくが教育について思うこと

国旗国歌裁判に思う

東京都の公立学校教員の最高裁判決が出た。
簡単に言えば、過去3回起立しなかったからといって停職処分はやりすぎでしょう。ということ。
この後、さして大騒ぎするほどのことでもないと感じる。戒告は否定されていないのだから、違法は違法なのだ。
したがって、これはこれで、教員の行動に対する違法性のレベルを明らかにしたという点で意味があると思う。
しかし、気になるのは、その後の会見での原告の言葉。
戒告は否定されていないのだから、当然、戒告となったことに対しては、素直に謝るべき。
なのだが、最高裁判決の一面でしかない停職不適当にのみコメントし、肝心の戒告にコメントが無い。
これは過ちを認めていないのに等しい。
仮にも人にものを教える立場なのだから、少なくとも、過ちは認めようよ、と思う。
法律に対して公正に向かい合う度量がないのであれば、教員を辞めて訴訟を続けるべき。
こういう人たちは、子どもが「自分は掃除などしたくない。それは僕の信条に反する。」と主張したら、当然、掃除を免除するのだろうな。もはや、公平・公正な態度を養う教員としての責務はどこにも見当たらないけど。
国旗国歌とまではいかなくても、これと同様のことは意外と多く、かつ埋もれて、日常に当たり前のように存在している。
例えば、昔一緒に働いていた教員で、こんな人がいた。
障害があって、十分に歩くことができない子どもを担任していたA先生。その子への指導にどうしても甘さが出た。
その子が他の子をたたいたり、悪口を言ったりしても、障害があるのだから、と周りの子に我慢を強いた。まったくの本末転倒である。大げさかもしれないが、犯罪者を育てていると言っても過言ではない。ルールはちゃんと指導すべき。こんな指導は、決して公正でも公平でもない。最低限のルールを教えてこそ、公正・公平が担保される。ここは国旗国歌と同じ。そのルールが間違っているというなら、法律家として人生をやり直すか、市民活動家となって大いに議論して欲しい。本気で社会を変えたいなら、今の制度で公正・公平を確保するべき教員の立場から去ろう。
とはいっても、前述の教員は、そんなことまで考えていなく、単に勉強不足、思考停止状態だったのだろうけど。
今日は、かなり辛口。
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by k1satok1 | 2012-01-17 23:01 | 教育
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