能力主義を考える
小学校国語の権威の話を聞く機会があった。文学教材を読んで、「主人公はどんな気持ちだろう」と児童に尋ねるのが今までの国語。これからの国語は、「この作品を読んで、何ができるようになったかな?」と問うことが大切だという。さらに、この問いに答えられるような児童を育成するには、そもそも、児童が「自分は○○ができるようになった」と感ずることのできるような学習活動を取り入れる必要があるという。曰く、能力主義が重要とのこと。そのためには「言語活動」の工夫や発問の改善が重要とのこと。その事例についても具体的な提案を伺い、大変勉強になった。
「文学を味わう」ということとは異なり、「具体的に何かができるようになる」ということが学習には求められるということである。ふむ、ふむ。確かに自分の成長を実感し、次への意欲を高めるためには、こんな能力が身についた、とメタ認知することが効果的であろう。 しかしながら、一方で、自分の成長を実感することだけが学びの主たるファクターか?という思いも浮かぶ。例えば、村上春樹を読んで、自分はこれを学んだ、これができるようになったとはあまり思わない。読書に浸り、自分の世界を広げ、思考の井戸を掘る。ただ、愉しむのである。そのようなことは、学校ではなく、家でやりなさいということなのか、それが学校教育、国語教育の役割なのか。 あえて言いたい。偏っていないかい?バランスをとろうよ。限られた授業時数だけれどと。 どんな学力が標準装備として日本人にとって必要なのかは、誰も決めることができていない。学習指導要領ですよと言うこともできるが、実は、その中身は意外と一意に定まっていない。そのような中で、文学作品を読む目的を、能力主義に限定していいのか。という疑問をもちつつ指導に当たりたいものだ。 今日は疲れ気味パート2。あまり深堀できず。
by k1satok1
| 2012-01-20 23:06
| 教育
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