ぼくが教育について思うこと

熟議を受け入れるかどうか

「熟議」という言葉が広く出回るようになったのは民主党が「熟議の国会」などといい始めたことにその一端があるだろう。このため、「熟議」という言葉を使うことに抵抗感がある人が見られる。あるいは将来的に死語となるであろうとの予測から使用を控える人が見られる。
しかし、よく考えたい。熟議、つまりよく話し合い議論をつくすことの何が悪いのだろうか。熟議なんてやってるから先に進まない、という人もいるが、それは、そもそも熟議のテーマ設定が間違っているのだ。よく話し合っても仕方のないことをテーマにしてしまっては結論が出ないのは言うまでも無いことだ。
よく話し合って解決すべきこと、そのメンバーだからこそ話し合うことで新たな動きにつながるであろうことを課題、テーマとして設定して話し合う、熟議することが重要だ。
例えば、小学生のクラスで、「学級編成を自分たちでするべきではないか」などという無謀なテーマで話し合わせていた教師がいたが、これも、結局小学生にとっては実現不可能なことであって、「過大な課題」なのである。
「熟議などありえない。何も進まない」と言っている人は、条件設定などを考慮せずに、話し合うこと自体を否定しているのであって、下手をすると、これは、民主主義を否定するものとなりかねない。
とはいえ、今の政権が上手に条件設定をして議論を活性化しているとは思わないが、少なくとも、学校、学級では、子どもの自由闊達な議論を否定せず、発言力や判断力を身に付けさせて欲しいと思う。多少の失敗は許しあうことも大切にしながら。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-28 22:16 | 教育
<< 新宿ハンファ サムゲタン 鯛 >>



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ
最新の記事
メモ帳
レンタルアクセスカウンター無料風景写真集 情報ホームページ分析グーグル SEO
アクセスカウンター フリー風景写真集情報検索上位WEB R
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧