ぼくが教育について思うこと

カテゴリ:教育( 95 )

生レバー禁止に思う~学校は禁止事項を増やすべきか否か~

生レバーが禁止になるそうだ。
おいしいのに残念だ。ちゃんと衛生的に処理している店にすればとんだとばっちりだろう。
「禁止」という行為でメリットが受けられるのは管理行政だけだ。禁止しておけば、失敗がおきたときに責任をとらずにすむから。
こういうことって学校でも往々にして起きうる。教師が責任をとらなくてすむように、事前に子どもに対して禁止事項を並べ立てるのだ。この禁止事項の基準はあまりはっきりしていない。学校、教員に任せられているのだ。中にはどう考えても禁止にする意味がないことを禁止にする教員が現れたり、禁止にすべきだろうと通常思われることを禁止にしない教員が現れたりすることにつながる。
それはなぜか。
教育の世界は、行政が関与しすぎるとよくないという文化があるからだ。
僕が思うに、教育の世界のようにあいまいな領域が多いものほど、行政が関与を強めるか、住民によるレイマンコントロールをl強化すべきだ。教育は基本的に教師個人の属人的な営みである。だからこそ、なにかを禁止する必要が出てくるのは事実だ。でも、その禁止事項をつくりあげる過程で教師が胸襟を開いて話し合うことこそが重要なのだと思う。
酔っ払ってめっちゃくちゃですが。こう思います。
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by k1satok1 | 2012-06-13 00:36 | 教育

教員採用試験の必勝法

筆記試験に通過するのが前提だが、採用試験の必勝法は、面接であろうと、模擬授業であろうと、小論文であろうと、いずれにしても、問題の趣旨をよく把握することにつきる。何を求めているのかを3点くらいに焦点化し、それぞれについての解答、解決策を丁寧に述べていくことだ。こういうことが根底にあれば、あわてず、誠実な解答を示すことができるだろう。
要するに、本番の度胸を担保するために、このような心構えをもっておくことが必要なのだ。本番で自分の本来の力を発揮することができれば、教師になれる資質を持つ人は、ちゃんと受かるのだ、と思う。
正直、試験の目的は即戦力を採用することかもしれないけれど、若いのにしっかりしているし、誠実だなと思わせるものがあれば、即戦力だろうけど、伸びしろがあるかな・・・と思わせる人より採用確率は高いのではないだろうか。
だから、教員採用試験を受ける皆さんには、まず、自分はどんな教師になりたいのかだけを真剣に深く思考しておいてほしい。その深い思考が即戦力を感じさせる経験や技術的解答を超える唯一の方法だ、と思います。
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by k1satok1 | 2012-06-09 21:36 | 教育

教師は一日にして成らず

教員採用試験に受かって、しばらくして、教育委員会から電話がくると、4月からすぐに教員として勤務することになる。
4月からいきなり担任。正直、つらい。教えることはできなくはないが、集団を相手にするのは素人ではできない。ノウハウがない。
これを何とかしなくてはいけない。
方法は複合的にすべきで、今のところ思いつくのは以下の二つを併用すること。
①最初の二ヶ月は指導教員がマンツーマンで指導する。これを徹底する。指導といっても当然、信頼関係の中で、温かなやりとりは必須だ。
②初任者研修をやめる。というか、やめられないから、やり方を変える。夏休みに集中的にやってしまう。

もっとあるかもしれないが、少なくとも、工夫する余地は現状でもかなりある。
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by k1satok1 | 2012-05-26 23:01 | 教育

コミュニティ・スクール

コミュニティ・スクールが1183校に増えた。かなりの増え方だ。
コミュニティ・スクールは、教育のことは現場に近いところで、関係者が責任をもって考え、判断し、実行するということを実現するシステムだと思う。
「地域密着型学校創造システム」といってもいい。
こういうことを言うと、地域の人が学校に入ってきたら、余計なことは言うは、教育のことを知らないで勝手なことを言うは、混乱しそうだ、という意見を言う人が必ず出てくる。教員であっても、市民であっても、そういう懸念を語る方が必ずいるものだ。でも、そういう人が建設的で前向きな解決策を出しているところを見たことが僕はまだ無い。
僕が一番嫌いなのは「懸念」ということだと気づく。
教育に携わる以上、「懸念」に重きを置くべきではない。そもそも、学校というシステムが、教員というパブリックでありながら、実はパーソナルな存在に多くの権限をゆだねている極めて「懸念」されやすい存在なのだから。
「懸念」よりも「建設的」「創造的」「問題解決的」というフレーズに重きを置きたいものだ。
コミュニティ・スクールの数が増えたこと自体を評価するのは意味が無い。しかし、それだけ地域密着型の学校創造を進めようという教育委員会と学校が増えたこと自体は歓迎すべきであろう。
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by k1satok1 | 2012-05-24 23:55 | 教育

教員の資質向上を考える⑦

教員の資質として必要なことを明らかにしたい。
例えば、お菓子屋さんなら、当然、おいしいお菓子とは何か、またその作り方に精通していなければならない。さらには、原材料の仕入れ先の開拓と経費の適切な管理が求められる。
教員はどうか?
子どもを知っていること(知る努力を惜しまないこと)、その育て方に精通していること(精通しようとしていること)であろう。さらには、教育の充実のための素材とその入手方法を自ら手に入れていることであろう。
つきつめれば、たゆまぬ情報収集と情報を基にした施行錯誤につきる。情報収集は決して狭いものではならない。ちょっと異なる分野からの情報にも目を向け、受け入れ、租借し、分析して、必要なことは取り入れる柔軟な姿勢が必要だ。結局、教師が「自ら学ぶ」という姿勢をもっていることが、子どもや保護者の信頼を得ることに直結する。
子どもも保護者も教師をよく見ているのだ。何となく教師をやっているのなら、すぐにその姿勢を猛省し、改めてほしい。教師をやっていてつらいのなら、誰かに相談してほしい。とにもかくにも、教師として生きていくなら、学ぶということを忘れてはいけない。それは、子どもの抱える問題から逃げるという行為に直結するから。
忘れてはいけない。子どもの大切な成長過程に大きな影響を与えるのは教師なのだ。
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by k1satok1 | 2012-05-20 22:31 | 教育

保護者対応に思う

教員は人がいい。
これにつきる方が多い。
また一方で、プライドが高い。
これにつきる方も多い。
保護者からのクレームに対して、的確で柔軟に対応できない教員の場合は、これらが影響している、と思う。
対応の基本は、できることとできないことは明確に、わからないことはいったん保留に、でも迅速に、教員としての法的な権限を超えていることはちゃんと「そこまでの権限はないのです」言う、などということだと思うのだが、こうしたことが踏まえられないで対応して泥沼に入っていくケースって多いのではないだろうか。
何も杓子定規に対応する必要はないのだが、基本原則をおさえているのといないのとでは対応のあり方に大きな差が出てくるのは事実だ。
この基本原則をおさえた上で、保護者の心情に寄り添って話を聞くことが解決の早道でもある。
恐れて、よく聴かず、あれもこれも守ったり、うっかり約束したりするということが一番犯してはいけないことだろう。
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by k1satok1 | 2012-05-07 22:38 | 教育

モンスターペアレント~保護者の苦情を考える

モンスターペアレントという言葉はまだ生きているのかな。
マスコミではあまり聞かないけれど、現場の学校では理不尽と思われるような苦情、要求がひっきりなしに繰り返されているのだろう、と推察する。個別具体的な事案についてはマスコミに取り上げられることは少ないから何となく学校は保護者対応で苦慮していないのかな?と思ってしまうが、たぶん、そんなことはないのだろうと思う。
だって、一度出てきたことってそう簡単になくならないですよね。どんなことも。
もはや保護者からの苦情は学校にとっての標準職務になりつつある、と考えることが必須なのだろう。
プロのサッカーでは、試合に負けるととんでもないブーイングがある。何年か前には、ブラジルで選手が殺されるなんてこともあったくらい過激だ。学校も、保護者がサポーターだととらえたらどうか。ミスをすれば当然バッシングが待っている。今どきの保護者ってどうしようもない、と嘆いて解消するのではなく、どの学校も標準装備として、バッシング対応方策を用意しておくことが必要ととらえるのだ。
管理職がはらを決めて、苦情対応は任せろ、と構えてくれたら、担任はとても安心だろう。
この意味では、管理職の能力が極めて重要である。
ああ、でも世の中の管理職は、管理も指導も助言も、備えも何もできない人が多いのが現実なのだ。
だって、教員になった人は、そもそも、管理することなんて望んでナインだから。ああ。困ったなあ。
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by k1satok1 | 2012-05-07 00:29 | 教育

理想と現実の狭間~教育・子育てという営み

教育の第三者は「これが大事、と語ることが得意」
教育の当事者は「こうやればいい、と行動することが得意」
被教育者は「何が大事なの?と疑問をもつことが得意」

主語的世界は、物事を矮小化する。

誰かの主語に乗り換えて考える他者的世界を自己のうちなる世界にもつことが、
教育をよりよいものとする一つの在り方だ。

理想の教育・子育ては誰にとってのものか。それは、被教育者にとってのものであることは
言うまでもない。

第三者と当事者が「被教育者」の目線を考慮せずによりよい教育を考えても意味がない。
よりよい社会のために教育がある、との論には意味があると思うが、よりよい社会が不明確な今、
よりよい人間として成長してもらうために教育がある、と考えるしかない。

よりよい人間とは何か。それは、常に思考し続け、よりよい社会を志向し続ける人間であろう。
よりよい社会の姿は不明確でも、よりよい社会を追い求めることはできるし、重要だ。
そんな現状打開的思考力・行動力を身につけることが教育の命題ではないか。

あー固いし、完成できてない、この思考。
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by k1satok1 | 2012-05-02 23:54 | 教育

朝の会ですべきことは何か。(小学校編)

小学校では、きまって「朝の会」というものがある。日本の学校における定型のひとつだ。15年ほど前、アメリカの小学校にお邪魔したことがあるが、その学校では、朝の5分ほどの時間を使って何をしていたかというと、教室のスピーカーから国歌が流れ、それに応じて、児童が胸に手をあて、国歌を斉唱していた。それだけである。教師からの訓示も指導も、連絡も何もない。国歌が終わったらすぐに授業が始まっていた。
朝の時間の使い方はとても重要だ。教師が持論を述べて、やや説教くさく始まるクラスもあれば、教師はほとんど何も語らず、子どもの「昨日の出来事発表」などに時間をかけるクラスもある。
でも、そうしたことって何を目的にして実施しているのだろうか。教師によっては、ほかのクラスもやっているから、と理由を述べるケースも少なくない。

それって、何の理念もないよね。

僕の場合は、朝の会は短くする。そして、朝の会では、過去を振り返るのでなく、今日これからどのうようなことに努力するかを、一応クラス全体として共通理解するようにしていた。たとえば、「友達にいやなことをしない、いわない」ということに気をつけてください。とメッセージを伝えるのだ。(多少工夫して伝えているが、細かいことは省略する)
たとえば、これを毎日続けてみるといい。子どもは見る見る変わっていく。
教師に求められるのは、何が大事なのかを子どもにしっかり伝え、評価することだ。
だから、僕は朝の会で伝えたことは、帰りの会で、どの程度実現できたか聞くようにした。
それだけでも子ども、クラスはぐっと緊張感を帯びてくるのだ。
ぜひ、若い教師の皆さんには試してほしい。
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by k1satok1 | 2012-04-28 21:05 | 教育

教育の成果・効果をどうとらえるか~エビデンスへのチャレンジ

教育の成果・効果はとても評価が難しい。たとえば、学力が向上した、という成果・効果があったとしても、それは確かに成果・効果なのかもしれないが、数ある教育活動の中の一体何が要因となっているのかが分かりにくいのだ。
読書活動に力を入れたから漢字のテスト結果が良くなった、などと短絡的に結び付けていいのかどうか、ということです。
確かに、僕の経験上、読書活動に力を入れたら(読んだページ数に応じて、子どもを表彰した。)、あるとき、作文がはちゃめちゃだった子がいきなり構造的な文章を書いてきて心底驚いたということがあったけれど、それだって、本当は読書だけが要因なのかは不明である。
また、教員の心情としては、教育の成果・効果は数年後に出てくるのだ、という根本的な考え方もある。
しかしながら、僕は提案したい。たとえば、卒業した児童生徒のその後を追うのはどうか。卒業生の学ぶことへの意識や学習スタイル、読書量、学習時間などを調査してみるのだ。
つまり、長期的なスパンで学校教育の成果・効果を把握してみるのだ。PISA調査はこれに近い調査だと思う。日本版PISA調査を行うことが、実は高等教育の評価ではなく、義務教育の評価を行うことになると思うのだが、いかがだろう。
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by k1satok1 | 2012-04-27 00:22 | 教育



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
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