ぼくが教育について思うこと

カテゴリ:教育( 95 )

地域との連携による学校づくりはやらなくちゃいけないのか?

地域との連携による学校づくりはやらなくちゃいけないのか?
やらなくちゃいけないとしたら、
1.その法的根拠は何か。
2.だれがその主体者か。=責任者を負うのか。
3.地域とは何を指すのか。
4.何が目的なのか。
5.連携のための場と時間は確保されているのか。
6.関わる人々の責任は何によってどのように担保されているのか。
7.トラブルが起きたときには、どこがどう対処するのか。※2にも関連。
8.連携とはなにをすることか。
9.協働や協力と同じか、違うのか。違うとしたらどう違うのか。
10.保護者はどうかかわるのか。
11.保護者は地域住民か。
12.どんな効果が期待されているのか。※このあたりはやってみて得られることでもある。
などを明らかにしなければいけないなあ。
もっとありそうだが。それは、上の1~11に付随しているもので、ブレイクダウンすると出てくるだろう。
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by k1satok1 | 2012-03-18 22:32 | 教育

教育の効果、妥当性などを測る尺度とは

これは永遠の課題。
これを見つけられたら、いいな。
とても難しい。
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by k1satok1 | 2012-03-17 12:40 | 教育

そこに志はあるのかい? 橋下大阪市長を巡る冒険

橋下大阪市長の発言をどうとらえるか。
真っ向反対という人と、賛成だぜっという人がいろんな場面で発言しているので面白い。
僕は橋下さんを一つの意見として受け止めている。そういう考え方もあるし、その考え方を思考の材料にすれば、何か新しいものの見方や施策が生まれるかもしれないと。
でも、そんな風に思考するときには、自分の思考の土台が必要だし、重要だ。自分は結局何を大事にしたいのか、何を目指しているのかという志が不可欠だ。それがないと、川を渡るのに、縄を張った方がいいとか、いやいや橋を作った方がいいとかの手段だけの議論になってしまうからだ。橋下さんと、その批判者たちは、僕から見れば、皆同類だ。一つの思考の材料でしかない。もちろん大阪市民は利害関係者、有権者として大きな影響をこうむるのだろうが。そこは、選挙だから仕方がない。今の制度の中では。
橋下さんも、その批判者も何を目指して、議論するのか、それを正直に語ってから手段を述べてくださいね、と僕は言いたいな。子供のけんかじゃあないのだから。
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by k1satok1 | 2012-03-15 23:55 | 教育

歌手のAIが鹿児島で授業を・・・

AIが母校の小学校で6年生に音楽を指導している。NHKで。
素直に自分の心を表現できる人は、子どもの心をとらえるということが分かる。
とてもいい雰囲気で、しかも、AIの言葉は印象深い。分かりやすい表現で、人として大切なことを伝えている。
魅力。それが教師には必要だ。心して、自分を磨く必要があるのだ。教師は、万能ではないが、何かに秀でて、魅力を身につけることはやる気次第だろう。
人を楽しませたい、成長させたいと、他者の喜びが自らの喜びに感じられるようなことこそが教師としての資質の根幹ではないかと思う。
それがない人は、教員採用試験を受けるべきではないとさえ思う。いや、それではあまりに悲しい。できれば、大学でそうした資質を身に付けられるような授業、プログラム、恩師、友達でもいい、そういうこと、人に出会えるとよい。
教育系の大学に求められるのは、このような視点ではないか。
もちろん、これだけでは大学教育ではなく、職業訓練所になりかねないが。
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by k1satok1 | 2012-03-14 23:43 | 教育

子どもの自立・自律を促すには

教員時代、子どもの自立・自律を促すということに随分と腐心した記憶がある。
教員は教え上手だ。これは、一般的に言って間違いないことだと思う。保護者や地域の方よりも平均値として教える力が高いと思う。中にはとっても教え上手な保護者、地域の方もいらっしゃるが、相対的には前述のようなことが言えると思う。
だが、学校教育の中で、知識や知恵を教えれば子どもが社会に出たときに困らないか(困らない可能性が高まるか)というと決してそうではない。
なぜなら、社会の中で生きていく上では、様々な問題に出合い、その都度的確に問題解決していかなくてはならないからだ。いざ問題に出合ったときに、自力で、あるいは他者と協働して問題解決した経験と知見を持っているのとそうでないのには多いなる違いがある。問題解決のとっかかりすら見つからないようなら、そこには逃避という選択肢しか残らない可能性がある。
だから、子どもに問題解決の手法なり、経験なりを積ませることが重要なのだ。そのことに気付くとき、教員は教え上手だけの存在ではいられなくなる。自立・自律を促す名手とならなければならない。そのための具体的な手法はまた改めて述べたいが、少なくとも、こうした認識の変化がまずもって必要だ、と思う。
明日に続く、かな。
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by k1satok1 | 2012-03-14 01:12 | 教育

教員の資質向上策を考える⑥

教員の資質向上というときに、どのようなものを指して向上させようとするのか、それを特定し、定義しなければ、議論は進まない。いろいろな定義づけが可能だが、僕は、こういう考えを一つ提案したい。
教員の資質には、教員だからこそ高める必要のある能力と、教員だからこそ不足しがちな本当は重要な能力があるのではないか。
後者の教員だからこそ不足しがちな能力には、法令遵守の認識と知識、社会人としてのマナー、組織として働くことへの認識や組織として問題解決する力、情報収集能力、資料作成能力などだろうか。まだありそうだけれど、とりあえず、ざっくりとこんなところが不足していると思う。感覚的で申し訳ないけれど。
こうした力を身につけるためには、教員に市町村の役所や教育委員会事務局での勤務を1年間くらい課してみるといいのではないか。いわゆる人事交流を盛んにするのだ。場合によっては、数年間継続して役所勤務を経験してもよい。もちろん本人の希望も踏まえつつだが。学校事務職員はこうした交流を行いやすいし、実際に行っている自治体もある。教員も学ぶことは多いはずだ。
教員の資質向上については、あらゆるチャンネルを組み合わせて、選択肢を増やしていく、ツールを増やしていくことが必要ではないかと思うがどうだろうか。
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by k1satok1 | 2012-03-12 22:39 | 教育

教員の資質向上策を考える⑤

教材研究というものがある。これは一般の方には不思議な言葉かもしれない。元々教員免許をもっているのだから今さら教材研究って?と。教員になっても教材を研究することは必要だ。しかし、では、教員免許はどのような人がもらえるのか?と、その基準に疑問を感じる方もいるのではないか。
教材、つまり教える材料について詳しい知見を持っている人が教員免許をもらえるわけではない。
では、どのような要件を満たせば教員免許をもらえるのか。
実は、それは、自動車の運転免許ほどの明確な基準がない。
そこで、提案したいのだが、教員には、①授業とは何をすべきものなのか(目的)、②そのためには、何が重要なのか(方法)、③絶えず向上していくには何が重要か(評価)などについて知見を有するように大学の授業を向上させて欲しい。
そのためには、大学教員の資質向上が実は重要。
僕が知る限り、たいていの教育系大学教員はそんなこと気にしていない。これこそが問題。まあ、このことは、25年も前に感じていたことだけれど、改めて。
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by k1satok1 | 2012-03-10 23:40 | 教育

大学教授の資質

今日は頭に来た。同じ職場で3月には退職して大学で講義を持つとかいう先に生まれた輩が来て、あーでもない、こーでもないと。純粋に質問しに来てるなら素直に回答するが、同じ職場の人間なのに、やたらと批判的。というよりネガティブ。自分の職場に対してネガティブ。まあ、建設的な批判ならいいのだけれど、建設的でもない。
言いたいことは、どうやら、この職場は世の中のために役立っていないということのようだ。でも、あんたが30年以上、この職場に勤めてきたんだから、それはないでしょう。ふざけた話だ。完全にぬるま湯の中で過ごしてきた世間知らずのお方。この人に給料払う意味あるのかな。現場で苦労している教員に1円でも還元したほうがよい。
本当に困ったもんだ。
しかも、4月から大学で講義する準備を、今勤務時間中にやるんじゃあない!
さらに言えば、質問の程度が低すぎる。「○○ってどうですか?」って、最低の質問だ。自分はこういう見解だが、この点について意見は?くらいは言ってくれよ。
退職してから、死ぬほど勉強しなおして、誇りと自信をもって学生の前に立ってくださいね。と願うばかり。うーん、日本の大学教育は終わってる。まあ、全部知ってるわけじゃないけど。
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by k1satok1 | 2012-03-10 01:19 | 教育

孤立死に思う・悼みつつ~開かれた学校とは、再考。

人と人とのつながりが希薄になってきていることが、「孤独死」を生みやすくさせている。公的サービスが点と点で民とつながり、サービスを提供していくことには限界がある。孤独死の原因を公的サービスの不備に求める風潮があるが、それは違う。いや、一部はあっているが、公的サービスだけですべてをカバーすることは現実的ではない。そんなことは誰でもわかることなのに、原因究明を称して公を攻めるような雰囲気が漂う。
誰かのせいにすれば、誰かの気が済むのだろうか。一体誰の気が済むというのだろうか。
孤独死を生まないようにするにはどうすればいいのか、ということを社会全体の在り方から考えてみることが必要だろう。
報道ステーションでは、近所のちょっとしたお節介が必要だと。賛成だ。今、学校の中でも会社でも、お節介が少なくなりすぎている。トラブルに巻き込まれることで自分が傷つきたくないという感覚は理解できるが、それは、この世の中のためには決してならない。
もちろん、自分の世界で完結して欲しいような方も世の中にはいるが、だからといって閉じていてはいけない。
ちょっと遠回りしたが、「開かれた学校」ということを考えるとき、その本質はこのようなところにあるのではないか。学校が信頼されればよいということではないのだろう。
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by k1satok1 | 2012-03-08 22:09 | 教育

教師が子どもに嫌われたとき、どうするか。

教師は万能ではない。

子どもに嫌われることだってある。何となく嫌われているときは、針のむしろだ。直接、嫌いと言われると、子どもにも同じような気持ちを味わわせたいという気持ちが生まれてしまうこともある。それが、「指導」と称して、厳しい叱責につながることもある。

教師は万能ではない。

子どもが嫌いになることもある。何となく合わないな、と感じているときは、不安という海に漂う小舟だ。それを、子どもの方から嫌いだと表明されると、ひるむ。自信を無くす。自ずと、自分の気が合う子どもに目が向く。逃げる。「配慮」と称して、苦手な子に遠慮がちになる。指導が薄れる。

万能でない教師には、周囲に心を開放し、必要なら助けを求め、協働することも大切だ。自分一人では抱えきれない人間関係の鎖の中で生きているのだ。40人の子ども、80人の保護者、そのまた祖父母。そして、同僚という名の傍観者。管理職という名の監視者。

教師は荒波の中で自分一人で泳ぎ抜こうと思ってはいけない。落ち着いて、周りを見回し、自分から心を開き、学び、解決策を見出すのだ。そのことが一つ一つ蓄積されたとき、本当の問題解決力が身につく。そうした教師の行動は、子どもに勇気を与え、万能ではない者同士が共助し、新たな関係性の構築へと導いていく。

教師は万能ではない。そして、人は誰一人として万能ではない。それは、労働や雇用や責任といったこととは違う次元で人間を形づくる重要な観点である。
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by k1satok1 | 2012-03-08 00:31 | 教育



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
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