ぼくが教育について思うこと

<   2012年 01月 ( 22 )   > この月の画像一覧

説得と納得

僕の尊敬する先生が、よくおっしゃっていた。「説得」と「納得」は違う。子どもを説得するような授業ではなく、子どもが納得するような授業をすべきであると。
僕は、この言葉がとても気に入っている。意地悪く突っ込もうと思えば、ときには説得することだって教育上必要なのでは、とか、納得なんてどうやって確かめられるんですかと言えそうだが、僕は、とりあえず、そういう邪念は封印し、子どもが納得する授業ということについて、真摯に向き合おうと思って努力してきた。といっても、7年以上前のことだけれど。
やってきてみて思うのは、子どもが納得する授業のポイントは、ありきたりだけれど、まず子ども自身が自分でやってみて、考えてみるということ。できれば、無責任な中でやってみて考えるのではなく、ある程度の責任を担って取り組むことが望ましい。適当にやってみて、適当に考えるのでは、納得にはたどり着きにくい。そこには、妥協やあきらめ、誤魔化しが生じてしまう。大切なのは、子どもが自分の取組、考えに責任をもって臨み、責任をもって発信するよう導くことである。できなくてもいいんだよ努力することが大切、などと言いながら子どもに課題を与えるのは、やさしさでもなんでもない。子どもを大切に思うなら、未来の社会を託そうと思うなら、子どもが責任をもって自分の学びを創ることができるよう支援すべきであると思う。
とはいえ、納得ということを追究すると、本当に難しい。だって、人が本当に納得したのかどうかは、実際はさっぱり分からないからのだから。皆さんは分かりますか?
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-30 23:42 | 教育

無防備と防御反応と思考停止

>無防備
仕事をしていると当然、困ったことや悩むことに出会う。一番楽なのは、問題の原因となっていることから「逃げる」、それを「避ける」ということだろうが、仕事となると、そうもいかない。まずは問題点をしっかり認識して、そこにアプローチしていかなくてはならならい。
僕が若い頃は、今思うと情けないほど鈍感で、今自分の目の前でおきている問題になかなか気付けなかった。恥ずかしいけれど、保護者にクラスにいじめがあると進言されてもなお、自分に何が求められているのか認識しきれず、具体的な行動に移るのに時間がかかってしまったこともある。(その頃の子どもたちには本当に申し訳ないのだが。)
これは、まったく無防備な教員の事例として特徴的。自己反省。
>防御と思考停止
ある学校で、いじめが起きた。子どもだけの問題で解決できればよかったが、保護者同士の対立になり、校長が間に挟まれた。こうなると子どもの困りや悩みは横に置かれ、学校の責任を問う保護者と、何とかことを収めたい学校との交渉作業に突入することになる。悲しいかな、このようなことがまま見られる。
このときの校長は、残念ながら、「基本的に、自分は『いじめはおきるものだ』と思ってる。」と述べ、対立の解消に熱心ではなかった。
対立に身を投げ出し、もがくのはとても労力のいることだ。できれば避けたいというのが誰しもの本音だろう。しかし、防御に甘んじていると、物事の解決は図れない。防御しようとする側に回ると、そのとたんに思考停止が始まってしまう。「いじめはおきるものだ」といくら言ってみたところで、問題が解決するわけではない。
こう考えると、思考停止に陥らないこつは、問題を恐れず、防御に回らず、燃え盛る炎の中に飛び込むがごとく、敢えて問題の中心に身を投じることしかないように思う。
まあ、できればそんな問題が生じないほうがいいのだけれど。一旦生じてしまったら、覚悟を決めよう。思い切って事の当事者になろうじゃないか、と思ってみることが大事なのかも。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-29 22:18 | 教育

気持ちの箸休め

waiting time
たまに見ようこの作品。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-29 18:30 | 箸休め

新宿ハンファ サムゲタン

ランチに韓国料理が食べたくなって。
サムゲタンは毎回おいしい。付け出しのキムチも味わい深い。a0254330_17251239.jpg
a0254330_17253172.jpg
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-29 17:26 | 箸休め

熟議を受け入れるかどうか

「熟議」という言葉が広く出回るようになったのは民主党が「熟議の国会」などといい始めたことにその一端があるだろう。このため、「熟議」という言葉を使うことに抵抗感がある人が見られる。あるいは将来的に死語となるであろうとの予測から使用を控える人が見られる。
しかし、よく考えたい。熟議、つまりよく話し合い議論をつくすことの何が悪いのだろうか。熟議なんてやってるから先に進まない、という人もいるが、それは、そもそも熟議のテーマ設定が間違っているのだ。よく話し合っても仕方のないことをテーマにしてしまっては結論が出ないのは言うまでも無いことだ。
よく話し合って解決すべきこと、そのメンバーだからこそ話し合うことで新たな動きにつながるであろうことを課題、テーマとして設定して話し合う、熟議することが重要だ。
例えば、小学生のクラスで、「学級編成を自分たちでするべきではないか」などという無謀なテーマで話し合わせていた教師がいたが、これも、結局小学生にとっては実現不可能なことであって、「過大な課題」なのである。
「熟議などありえない。何も進まない」と言っている人は、条件設定などを考慮せずに、話し合うこと自体を否定しているのであって、下手をすると、これは、民主主義を否定するものとなりかねない。
とはいえ、今の政権が上手に条件設定をして議論を活性化しているとは思わないが、少なくとも、学校、学級では、子どもの自由闊達な議論を否定せず、発言力や判断力を身に付けさせて欲しいと思う。多少の失敗は許しあうことも大切にしながら。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-28 22:16 | 教育

教育についてではないが・・・。
昼に食べた鯛の潮汁なんちゃらという料理が淡白だった。
鯛は岩塩でもふりかけて食べるとおいしいように思うなあ。そういう工夫は家で食べるときしかしにくいのが残念。
a0254330_172886.jpg

渋谷で。
以上、箸休めに。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-28 17:31 | 箸休め

学力について(参考)

ゆとり教育に関する考察<黎明期>Ⅱ
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-28 12:07 | 教育

意欲がわくとき

「意欲がわくとき」というものがある。やる気にあふれ、ビジョンが明確になり、生き生きと活動できるというときだ。
自分の場合は、「意欲がわく」ためには条件があると感じる。
①自分のやったことが認められること
②まちがいや失敗を乗り越えること
③目標がたっせいされること
④目標とそのたっせいのためのみちすじが見えていること
⑤単純に、人に褒められること
⑥いやな「人・こと」から解放されること
⑦面白そうなプロジェクトに出会う・考えつくこと
⑧考えが深まっていくこと
挙げれば切が無いような気がするが、こんなことを挙げ列ねてみると、
教師として子どもにどのように接すると良いのかがみえてくるように思う。
完璧でもないし、一般化もしないが、まずは、自分だったらどんなときに意欲がわくのか考えてみてはどうか。
次の一手へのヒントが得られるし、冷静に子どもを見つめなおすきっかけ、ツールにもなるだろう。
なんとなく子どもを見る、ということから脱却し、分析的に子どもを見ることも大切ではないか。
そのためには、チェックリストを作ってみることだ、と思うが、いかがでしょうか。
今日は相当疲れて眠いので、ここまで。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-27 23:40 | 教育

「絆」って何だろう。実はあまり深く考えてこなかった。
俳優の渡辺謙さんは、「元来我々がもっているものだ」と述べている。
人と人とのつながりであり、「糸」の「半分」、真ん中でつながっているのだとも。
これに心から共感するが、そう考えると、糸が切れ掛かっている人にこそ目を向けるべきなのだと思う。
我々は自分と他者との「絆」が深くなると、そのことに満足し、気分が良くなり、安心感を高めることができる。マズローの欲求段階のうち最も基盤となる欲求である安心を確保するのだ。
しかし、その場合の「絆」は、あくまでも「自分」を中心としてつながる「絆」でしかない。
本当に「絆」が大事だと思うのなら、他者の「絆」にこそ目を向けるべきなのかもしれない。これは、他者に目を向けることとは違う。他者が社会の中でどのように人とつながることができているのかに関心をもつということだ。その人が社会とコネクトできているか、他者とコネクトできているかに着目していくことで、新たな視点が生まれるような気がする。
そうだ、ある人を見るときに、その人のパーソナリティや能力や生活環境などを見るだけでなく、人とのつながりの状況を見ることが大切なのだ。そう考えると、教師として、どのような子にどのような支援をすると良いのかが見えてくるのではないだろうか。
アメリカでは「スクール・コネクティッドネス」という考え方があるらしい。これは参考になる。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-26 22:56 | 教育

アウフヘーベンに挑め

「現状維持」というと、何か悪いイメージがあるように感じるのはぼくだけだろうか。でも、そんなことを言うと、現場の校長先生から、現状を維持するだけでも大変なんだという声が聞こえてきそうだ。
けれどもぼくは敢えて言いたい。現状維持というのは、実は、悪い現状も良い現状も丸ごと維持しちゃうことなんじゃないかと。
では、現状維持からの脱出に無理なく挑むにはどうすればいいのか。それは、一見良いと思われること、及第点だと思われることに対して、まずは敢えて疑問を出してみることだ。
例えば、以前こんなことがあった。学校評価の会議をしているときのことだ。さしたる議論もないまま会議の雰囲気が、「まあ取り立てて問題もないので、現状維持だね」という方向に流れかけた。そのとき、ある教員が提案した。「現状維持もいいが、まだ意見を出していない教員も多い。少なくとも一人一人の教員が感じている課題を述べてみてはどうか」と。この提案に応え、一人の若い教員が発言した。「給食の時間が短すぎてしっかり指導できない、努力はしているが・・・。」この発言がきっかけとなって時間割(日課表ともいう)全体の見直しが始まった。会議が思考し始めたのである。思考の結果、帰りの会に15分も時間をとっていることの是非が話題となり、これを5分縮減して給食時間を5分拡大するという改善策が提案されるに至った。
一見及第点だと思われることを一度疑ってみてはどうか、この若い教員のように。本当は良くないと思っていることを皆もっているのではないか。大事なのは、それを躊躇わずに発信することだ。
さらに言えば、疑うこと、課題を述べることを大いに奨励し、受け止める集団であることが重要だ。現状に対して批判的な考えが出ることによって、議論、思考が始まり、新たな高い次元に行き着く可能性がある、ということを皆が自覚しなければならない。これがイノベーションの根幹ではないか。
イノベーションが生起するための条件をちゃんと認識して、批判的な意見や議論を許容する姿勢がリーダーには必要だ。議論を恐れず、アウフヘーベンに挑め、というのがぼくの今回の提案だ。
[PR]
by k1satok1 | 2012-01-25 23:16 | 教育



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
カテゴリ
最新の記事
メモ帳
レンタルアクセスカウンター無料風景写真集 情報ホームページ分析グーグル SEO
アクセスカウンター フリー風景写真集情報検索上位WEB R
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧