ぼくが教育について思うこと

土曜授業の復活について思うこと

完全学校週5日制が開始して十数年が経ったが、その当時、文部省でことの決定を進めたのは自民党政権下にある官僚。まあ、45歳から55歳くらいの人が中心だったとすれば、その人たちのほとんどは退職しているのだろうか。
一方で、議員はまだまだたくさん残っているのだろうから、当時の文教施策をけん引していた議員が、もしまだ活躍しているとしたら、自分たちでつくった制度を、検証し微修正しようというのが、今回の動きについてのとらえ方としては妥当なのかもしれない。
でも、世の中は、微修正とは受け止めない。まさに土曜授業復活、というフレーズだけでとらえてしまい、それを良しとしない学校現場に対しては、冷たい目線が注がれる可能性がある。
あくまでも学校週5日制度のもとでの土曜授業の工夫、くらいのニュアンスできちんと世間に伝えないと。
誤解に根差した教育論議は不要だ。
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# by k1satok1 | 2013-10-21 00:23 | 教育

必ず子どもに響く、総合的な学習の時間の授業

世の中の課題を子どもに考えてもらうのが総合的な学習の時間で重要なことだ。
世の中の課題は、その多くが結局は人間の暮らしや文化などに起因する。
だから、結局は、総合的な学習の時間では、人とのつながりを軸にする授業が大事になる。
人とのつながりを軸にすると、様々な分野に関連した学習を展開することが可能になるのだ。
異文化理解を軸にするという言い方でもいいかもしれない。
「人」を中心にして、ウエビングをしてみると、様々な課題を子どもに提示できることに気付くと思うので、これはおすすめだ。

では、実践としてどのようなものがあるのか。
たとえば、国際理解教育として、よく外国の方との交流活動を行うことがあるが、これを「人」中心ウエビングで少し広げて考えてみるとどうなるか。
カナダ人の方との交流を行っているとしよう。
英語を学びつつ、カナダという国の場所や文化を知るというのが多くの場合の活動だろうが、
そこに、「環境」という視点をもちこんでみる。ウエビングを環境に広げてみるのだ。
一つの例だが、
子どもたちが牛乳パックを洗って、リサイクルするという環境に関する活動に取り組んでいる中で、カナダ人の方との出会いを位置付ける。
カナダには、紙の牛乳パックというものがない。(少なくとも、私が知っているカナダ人の出身地域では)日本の子どもは牛乳パックが当たり前だから、これを不思議に思う。当然、カナダ人に対して質問する。どうやって牛乳は売られているのか?と。
カナダ人からは、意外な答えが返ってくる。日本人はなぜ紙を使ってパックを作るのか?と。
カナダの国旗を思い出してみてほしい。カエデの葉が中央にある。カナダ人は、これを示して、カナダは森林を大切にしている。だから、木を切って使い捨てるようなことはしたくないのだ。紙を使うということはそれだけ木を切るということだ。という意見が子どもに示される。

子どもがこのような外国人の思いを聞いたときどのような意見をもち、行動していくかは、学級によって異なると思うが、総合的な学習の時間では、こうした様々な「人」の考えにふれることが効果的だ。それも単に触れるのではなく、自分たちの活動や取組(この場合は環境に関する活動)に関連して、その流れに「人」との出会いを位置付けていくとよい。

子どもに響く総合的な学習の時間の在り方は、以上のような「人」中心ウエビングで活動や出会いを演出することが必要なのだ。
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# by k1satok1 | 2013-06-02 22:15 | 教育

朝の会ですべきことは何か。(小学校編2)


朝の会ですべきことはいろいろある。
基本中の基本は、

○子どもが全員いるかの確認
⇒当たり前だが、連絡なく登校していない子がいたらリスク
○目をこちらに向けていない子がいないかの確認
⇒目は口ほどにものをいう。これを馬鹿にしてはいけない。
○服装、髪型の乱れがないかの確認
⇒身の回りがきちんとしていない子は、何かある、と思ってもいい。(もちろん無い場合もあるが)

あまり多くのことを確認することはできないから、これくらいは最低ラインということを決めておく。

次に何をするか。
時期によっても違う。もし4,5月なら、机の上を見る。よけいなものがないか、乱雑に物をおいていないか。あるいは、何ものっていないなら何かを出すよう指示する。その指示にどのように反応しているかを見る。指示を聞けていない子、従わない子はいないか。気になる子にはすぐに直すよう話す。

そういえば、学級経営上のポイントとして次のことをあげておきたい。
一度やるときめたら、徹底してやる。⇒先生が簡単にやめると、子どもは信用しなくなる。
と、これはよく教育雑誌でも語られること。でも、次も大事。
一度やるときめたことを先生がうっかりやめても、自分たちから「先生、ちゃんとやろうよ」と先生に言ってほしい、と伝えておくこと。子どものほうがしっかりしていた方がいいクラスになる場合もある。
また、一度やるときめたことでも、変えたほうが良いと思ったら先生に言ってほしいと伝えておくこといい。この世に一度きめたら絶対変える必要がない、というルールは少ないはず。憲法だって改正が議論になるのだから。
もっとも、モラルやマナーとはちょっと別だが。

まだまだあるが、おいおいメモしたい。
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# by k1satok1 | 2013-05-14 22:25 | 教育

コミュニティ・スクールとは

地域住民や保護者が学校運営に参画する、というのがコミュニティ・スクールの核になるフレーズ。
法律上も一定の権限を地域住民等からなる学校運営協議会にもたせている。
が、この学校運営に参画、という言葉が何を指すのかが具体的に法律に明示されているわけではない。
そこで、様々な見解の相違が生まれてしまう。
見解の相違があるということは多様な意見があるということでもある。そうなると、どうしても自分の意見にそぐわないものに対して警戒心をもつのが人間というものである。
多様性があって、そこに不安要素が存在すると、人は手を出したがらない。
上手く活用すればメリットが生まれるという気がしても、どうしても億劫になる。
様々な思惑の中で調整するのが面倒だと感じてしまう。
これがコミュニティ・スクールとは、と考えるときに避けて通ることのできない現状であろう。

こうした現状は、コミュニティ・スクールだけにみられることではない。どんな新しい取組も、多様な見解にまとわりつかれ、その導入や推進に影を落とす。
だが、そんな影に飲み込まれてはいけない。
影から一歩踏み出し、明るさを求め、多様な見解のあい路を見出していく勇気が必要だ。
それが教育改革の本当の姿である。
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# by k1satok1 | 2013-05-06 20:05 | 教育

長嶋さんらしさ

長嶋さんが天才なのは、その伝説的なプレーや言動から誰もが認めるところ。
かつての野球少年だけではなく、なぜか、私のようなふつうの人間でも長嶋さんの
魅力にひきつけられる。
なぜか。
思うに、長嶋さんには、人に説明したり、納得させたりしようという気がないからではないか。
いいわけも、解説もなく、ただ、真摯に野球に向かう姿があるだけなのだ。
ご本人はたまに説明したりしているおつもりなのかもしれないが、それがまったく説明になっていない。
というか凡人にはよく分からない。
説明しよう、納得させようという人には、こちらもちょっとだけ構えてしまうのかもしれない。
でも、長嶋さんには、こちらが構えるということはなく、ただただ、理解不能な中に、関心を高め、いつの間にかその魅力をこちらから謎解きしようとしてしまうのだ。
もっとも、こんなこともそもそも、野球人としての偉業があってのことだが、
長嶋さんにはとにもかくにも憧れてしまう。
一方、安倍総理はどうか。アンパイヤ役を果たした総理だが、テレビの画面から
そのような魅力があふれ出ていたかどうか。
これからの政治手腕次第では、長嶋さんに劣らぬ魅力を発することができるかもしれない。
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# by k1satok1 | 2013-05-06 00:41 | 教育



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
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