ぼくが教育について思うこと

マジョリティとマイノリティ

サイレントマジョリティとノイズィマイノリティの問題がある。一般的、大衆的な声を有する大半の市民はえてして声を出さない。一方で、ごく少数の人々の中に自己の権利を守るために声を大きくするような人々が見られる。
それ自体はなんら問題がないのだが、それらの声を受け止める側が、どう対処するかという点で問題が生じてくる場合が多い。
行政や学校は特にその影響を受ける傾向にある。いわゆる言ったもん勝ち。このような状況を打破するには、みんなが一人残らず「言った者」になればいい。そのためには、大衆の声を吸い上げるシステムが必要である。
そこに気づいている校長先生はわずかかもしれないが、ちゃんといる。
知り合いの校長先生は、地域や保護者の声を聞くことから学校づくりをはじめるように心がけている。
それは、何の意図も無くフラットに声を聞くというもの。フラットに聞く、受け止めるというところから本当の改革が始まるのだと思う。これを履き違えて、自分の都合の良いことを聞くことに傾注する校長先生は、まやかしである。
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# by k1satok1 | 2012-01-15 23:01 | 教育

教員について

教員として15年、教育行政に5年、国家公務員として2年の経験を経ようとしているが、この間、さまざまな思いを抱きつつ仕事をしてきた。教員であっても、行政マンであっても、不適切な仕事だなと感じざるを得ない仕事ぶりの人はいるものである。ということが分かった。どんな仕事でも、子どもに見せて誇れるか?という観点から評価してみるといい。自分がさほど誇れることはしていないということが分かるはずだ。
大人といえども、公務員といえども、弱さをもっている。それを自分で認めてなおかつ一歩踏み出せるかが、いい仕事ができるかどうかの分水嶺である。
自分の先輩教員にこんな人がいた。通知表の作成をしているある日、「あ、しまった、このコメント別の子のものだった。違う子のコメントを書いてしまった。」と先輩。どうするのかと見ていたら、なんと「まあいいか。似てるし。」
23歳だった自分に注意する勇気はなかったが、今思えば、教師である自分の教師不信はこのとき開花したといってもよい。これが教師か?と。
今の教員にそのようなことはないのかもしれないし、この人が特別かもしれないが、この先輩、今では校長としてがんばっている。そのがんばりが本物であることを願わずにはいられない。
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# by k1satok1 | 2012-01-14 00:32 | 教育



教育について、激しく、でも温かく語ります。

by 教育鳥クロニクル
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